1980年代、bimotaの栄光
こんにちは、齋藤建築です。
本日はbimotaについての続きです。
前回はbimotaの創世について書きましたが、今回は80年代のころのことを少し書き留めます。
HB1から始まったbimotaの歴史ですが、SB1やYB1など70年代を彩るマシンが誕生しました。
80年代ではさらに独創的なデザインのマシンが続々と登場します。
しかしHBシリーズは83年のHB3を最後に生産終了。
ちなみにHBの意味ですが
「H」・・・ ホンダ製のエンジンを搭載している
ということです。
SやY、KやDの意味も想像つきますでしょうか?
そしてbimota製のフレームなので「B」なんです!
下記はまた引用ですがご参照ください。
70年代の世界GPにおいて、ヤマハ、アエルマッキ・ハーレーをはじめとするbimota製フレームを用いたマシンは多数活躍し、世界タイトルをも獲得していたが、公式記録としてbimotaが栄誉を受けることはなかった。しかし1980年、ジョン・エケロルドのライディングによるYB3が世界GP350ccクラスを制し、小さな町リミニに本拠地を置く会社に大きな勲章をもたらした。
https://www.bimota.jp/contents/brand/より引用
1983年、経営担当のモッリとの意見の不一致によりタンブリーニが会社を去り、才能溢れる若いエンジニア、フェデリコ・マルティーニが起用される。美しい多鋼管トラスフレームにDUCATI製 750ccエンジンを搭載した斬新なフルフェアリングモデルDB1、アルミニウムツインスパーのYB4など、独創性の高いモデルを次々と開発。その性能、品質、デザインが高く評価され、商業的にも大きな成功を収める。
1987年、bimotaはもう一つの大きな栄冠を手にする。YB4Rを駆るヴィルジニオ・フェラーリが、現在の世界スーパーバイク選手権の前身である、TT-F1世界選手権にチャレンジ。挑戦初年度にもかかわらず年間3勝を上げ、タイトルを獲得する。世界中のメーカーによりプロダクションバイクで争われるTT-F1における勝利は、bimotaの高い技術力を証明した。
bimotaの歴史に新たな栄光を築いたマルティーニではあるが、1989年bimotaを去ることとなる。マルティーニをサポートしていたピエルルイジ・マルコーニが、テクニカル・ディレクターとして新たに就任。世界中に衝撃を与えるニューモデルと共に、新時代を迎えることとなる。